さて、試験の次は仕事をがんばんないと!
ということで、現在、新しい仕事に集中し、新しいチャレンジをしようとしています!
それは、官公庁として、政府の施策に切り込んだり、
官公庁自体に対するコンサルティングを提案していくことです。
自分の今いる省庁において、何ができるのか
ITだけではなく、ストレタジーな部分も含めて、全体的に見回して
仕事につなげるだけでなく、国を良くして行くための検討を始めます。
具体的は秘密保持なためかけないですが、
ようやく官公庁のコンサルティンらしい仕事がでてきましたね。
ただ、民主党はだめだとか、
自民党はああだとか
批判ばっかりしていたところで、何も変えることはできません。
自分は何もしないのに、他人の批判ばかりするのは
意味のあることではないでしょう。
自分から動き出して、
自分から変えようとすること
それが自分と社会を築き上げるのだと思います。
国のため、会社のため、自分のため、みんなのため
たくさんの人に良い社会を提供するために
何か出来ることをさがしていきたいです!
ということで、現在、新しい仕事に集中し、新しいチャレンジをしようとしています!
それは、官公庁として、政府の施策に切り込んだり、
官公庁自体に対するコンサルティングを提案していくことです。
自分の今いる省庁において、何ができるのか
ITだけではなく、ストレタジーな部分も含めて、全体的に見回して
仕事につなげるだけでなく、国を良くして行くための検討を始めます。
具体的は秘密保持なためかけないですが、
ようやく官公庁のコンサルティンらしい仕事がでてきましたね。
ただ、民主党はだめだとか、
自民党はああだとか
批判ばっかりしていたところで、何も変えることはできません。
自分は何もしないのに、他人の批判ばかりするのは
意味のあることではないでしょう。
自分から動き出して、
自分から変えようとすること
それが自分と社会を築き上げるのだと思います。
国のため、会社のため、自分のため、みんなのため
たくさんの人に良い社会を提供するために
何か出来ることをさがしていきたいです!
休日の西武新宿駅に、募金箱を持った子供たちが声をあげていた。
親を失った遺児に対する、募金を求めていた。
貧困を理由に進学をあきらめる割合がかなり高いというニュースを最近みた。
また、国内の貧困率がOECDで高いグループにいることが厚生労働省より発表された。
日本国内の貧困状況は深刻だ。
遺児になると、中学を卒業すると高校もいかずに働きにでることが多いらしい。
彼らは、進学をあきらめないためにも支援をお願いしますと訴えている。
土曜日と日曜日のどちらにも彼らは立っていた。
民主党が子供手当てや、高校の授業料の無料化などの大盤振る舞いをして、
批判していた赤字国債の増発をしかねない状況になっている。
高校の授業料無料化のかげで、民主党は高校生に対する奨学金は切り捨てたらしい。
全員一律に対する支援と、
遺児や学校にいけない人への奨学金制度の不備の
間で不均衡が生じているような気がする。
子供手当てで誰でもかれでもお金を渡すことが果たして、日本の子育てをよくするのだろうか。
一方で、学校にいけない人に対する支援は何もはじめていない。
大きなことを言って、小さなことを捨ててしまう。
それで良いのだろうか。
いろいろな疑問をうかびながら、彼らの募金に協力する。
そんなささやかなことでは解決できないのだろうなとも思うけど
一つ一つが大切に成るのだと信じたい。
親を失った遺児に対する、募金を求めていた。
貧困を理由に進学をあきらめる割合がかなり高いというニュースを最近みた。
また、国内の貧困率がOECDで高いグループにいることが厚生労働省より発表された。
日本国内の貧困状況は深刻だ。
遺児になると、中学を卒業すると高校もいかずに働きにでることが多いらしい。
彼らは、進学をあきらめないためにも支援をお願いしますと訴えている。
土曜日と日曜日のどちらにも彼らは立っていた。
民主党が子供手当てや、高校の授業料の無料化などの大盤振る舞いをして、
批判していた赤字国債の増発をしかねない状況になっている。
高校の授業料無料化のかげで、民主党は高校生に対する奨学金は切り捨てたらしい。
全員一律に対する支援と、
遺児や学校にいけない人への奨学金制度の不備の
間で不均衡が生じているような気がする。
子供手当てで誰でもかれでもお金を渡すことが果たして、日本の子育てをよくするのだろうか。
一方で、学校にいけない人に対する支援は何もはじめていない。
大きなことを言って、小さなことを捨ててしまう。
それで良いのだろうか。
いろいろな疑問をうかびながら、彼らの募金に協力する。
そんなささやかなことでは解決できないのだろうなとも思うけど
一つ一つが大切に成るのだと信じたい。
八ッ場ダムの着工するかしないかで、地方と新政権との間でもめている。
無駄なんだから、中止すべきだ!
住民も移動しちゃって、もう7,8割もでできてるんだから、とめるほうがむだだ!
あなたはどう判断しますか?
継続しますか? 中止しますか?
こうした場合の判断基準をどこで持つかが非常に大切になる。継続派と中止派の主張は以下の通りだ。
【継続派】
・地方の声や地域住民の声を無視して、中止するなんて言語道断だ!(群馬県知事)
・もう7、8割出来ているのだから実施すべきだ。(国交省や建設関係者)
・すでに地域振興や移動もしており、ここで中止されると困る。(地域の人々)
・地域の治水のために、ダムは必要不可欠だ。(地域の推進派)
【中止派】
・50年以上前の計画であり、もはやダムは必要ない。(地域の反対派)
・公約にたし、無駄の象徴なのでやめないと。(民主党関係者)
・ダムによる治水は成り立たない、別の取組を実施すべきだ。(脱ダム系)
ほかにもいろいろあるだろうが、ざっと挙げるとこんなとこでしょうか。
こうして主張を見ると、それぞれが別々の軸から主張を展開していることが分かる。
1.ダム自体が意味があるか否かという視点
2.地域振興や対応状況からみた視点
3.建設業者などの利益が絡んだ視点
4・無駄うんぬんよりも単なる政局的な視点
といったところだろうか。
事業の継続性を判断する際の「最もしてはいけないおろかな判断基準」は、
もうやってしまったから最後までやろう!!
である。そのものの意義がないときに、それが9割できていたとしても、完成しても意味がないのだから、中止を断行するというのが重要である。
今回の八ッ場ダムの例で考えるのならば、
やはりダムの意義を再度、調査して判断すべきだと考える。
客観的に調査を行い、ダムの有効性や、経済的な効果などを総合的に評価して、継続すべきか反対すべきかを判断する必要がある。
現在の議論は結論ありきで、継続や中止の議論がなされていて、決して良い議論とはいえない。ましてや、「8割作ったからやめたほうが無駄がでる」というような主張はおろかだと思う。「作ったときに効果があるかないか」という視点がない限り、何も判断できないからだ。
民主党の言うように、「無駄の象徴だからやめる」という単純な理由だけでは、正しい判断とはいえない(無駄であるというデータがあるのかもしれないけど、このダムについては知らないので、無知な状況から判断して)。ダムは無駄だから全部作らないというのは乱暴は議論だと思う。
日本の公共事業に必要な視点は、公共事業の必要性をしっかりと調査して、一旦決定したことでも勇気ある撤退を可能とすることだ。
とりあえず決まったから、作るしかないというお上意識を変更することが重要なことであし、逆に単に中止だけを主張するのも裏返しなだけでなく、良い判断とはいえない。そのための調査・評価・判断基準の整備を進めるべきである。
無駄なんだから、中止すべきだ!
住民も移動しちゃって、もう7,8割もでできてるんだから、とめるほうがむだだ!
あなたはどう判断しますか?
継続しますか? 中止しますか?
こうした場合の判断基準をどこで持つかが非常に大切になる。継続派と中止派の主張は以下の通りだ。
【継続派】
・地方の声や地域住民の声を無視して、中止するなんて言語道断だ!(群馬県知事)
・もう7、8割出来ているのだから実施すべきだ。(国交省や建設関係者)
・すでに地域振興や移動もしており、ここで中止されると困る。(地域の人々)
・地域の治水のために、ダムは必要不可欠だ。(地域の推進派)
【中止派】
・50年以上前の計画であり、もはやダムは必要ない。(地域の反対派)
・公約にたし、無駄の象徴なのでやめないと。(民主党関係者)
・ダムによる治水は成り立たない、別の取組を実施すべきだ。(脱ダム系)
ほかにもいろいろあるだろうが、ざっと挙げるとこんなとこでしょうか。
こうして主張を見ると、それぞれが別々の軸から主張を展開していることが分かる。
1.ダム自体が意味があるか否かという視点
2.地域振興や対応状況からみた視点
3.建設業者などの利益が絡んだ視点
4・無駄うんぬんよりも単なる政局的な視点
といったところだろうか。
事業の継続性を判断する際の「最もしてはいけないおろかな判断基準」は、
もうやってしまったから最後までやろう!!
である。そのものの意義がないときに、それが9割できていたとしても、完成しても意味がないのだから、中止を断行するというのが重要である。
今回の八ッ場ダムの例で考えるのならば、
やはりダムの意義を再度、調査して判断すべきだと考える。
客観的に調査を行い、ダムの有効性や、経済的な効果などを総合的に評価して、継続すべきか反対すべきかを判断する必要がある。
現在の議論は結論ありきで、継続や中止の議論がなされていて、決して良い議論とはいえない。ましてや、「8割作ったからやめたほうが無駄がでる」というような主張はおろかだと思う。「作ったときに効果があるかないか」という視点がない限り、何も判断できないからだ。
民主党の言うように、「無駄の象徴だからやめる」という単純な理由だけでは、正しい判断とはいえない(無駄であるというデータがあるのかもしれないけど、このダムについては知らないので、無知な状況から判断して)。ダムは無駄だから全部作らないというのは乱暴は議論だと思う。
日本の公共事業に必要な視点は、公共事業の必要性をしっかりと調査して、一旦決定したことでも勇気ある撤退を可能とすることだ。
とりあえず決まったから、作るしかないというお上意識を変更することが重要なことであし、逆に単に中止だけを主張するのも裏返しなだけでなく、良い判断とはいえない。そのための調査・評価・判断基準の整備を進めるべきである。
昨日臓器移植法の改正案Aが可決された。長年にわたって日本の臓器移植の進展が
困難であっただけに、とても重要なことであったと思う。
7月の日曜日、武蔵境の駅で、子供の募金を求めている親がいた。
2歳の息子が原因不明の病で、アメリカで臓器移植を受けないと助からない。
そのための費用に1億円が必要であるため、募金をしていたのだ。
臓器移植のために億単位のお金が必要になる。
珍しい話ではない。
彼らにはこの法案を待っている時間もないのだろう。
臓器移植の話はとても難しい話であると思うが、私は改正案Aが可決されることが
望ましいことだという意見だった。
B案、C案、D案とあったわけだけど、どれも即座に子供への臓器移植を認める
内容ではなかったため、実質的には改正案Aを可決して、臓器移植を可能とさせるか
それとも、臓器移植の道を閉ざすかの2択でしかなかった。
A案以外の支持者の意見に共通であるのは、
「脳死を死とすること」への反対である。実際に脳死の子供を持つ親は、自分の子供を
死んだように扱われることに憤りを感じているのは事実であるし、彼らの意見はもっともなのだろう。
確かに「脳死を死とすること」が正しいとはいえない。しかし、それによって生きる可能性がある
臓器移植を待つ人々がたくさん死んでいる事実に対応する方が私は重要だと思う。
「自分の子供が死んだと認めたくない」というものに比較して、実際に見殺しにするという方が
責任は重いだろうというのが私の根底にある。
改正案Aは親が認めない限り、臓器移植をされることはない。
子供への臓器移植の選択肢自体を閉ざして、見殺しにする理由に、
「脳死を死とすること」に対する反対だけでは、ちょっと違うのではないかと思う。
もちろん、それに対する反対があってしかるべきであると思う。
死の問題とはとても難しいし、実際に脳死の子供を持っている人から
してみれば、そんな簡単に割り切れないだろう。
この問題は非常に難しい
日本で臓器移植が認められないのならば、アメリカで実施することがよいのだろうか。その臓器は誰のものなのだろうか。
1億円のお金を集めるまで、苦労しなければならない現状でよいのだろうか。考えてはいけないのかもしれないが、その1人の命が救える1億円で、アフリカでは一体何人の子供が救えるのだろうかとも考えてしまうと、より複雑な気持ちになる。
少なくとも私は
「脳死を死とすること」への感情的な反対よりは、
「助けることができる子供を救える道」を選ぶのが大切ではないかと思う。
困難であっただけに、とても重要なことであったと思う。
7月の日曜日、武蔵境の駅で、子供の募金を求めている親がいた。
2歳の息子が原因不明の病で、アメリカで臓器移植を受けないと助からない。
そのための費用に1億円が必要であるため、募金をしていたのだ。
臓器移植のために億単位のお金が必要になる。
珍しい話ではない。
彼らにはこの法案を待っている時間もないのだろう。
臓器移植の話はとても難しい話であると思うが、私は改正案Aが可決されることが
望ましいことだという意見だった。
B案、C案、D案とあったわけだけど、どれも即座に子供への臓器移植を認める
内容ではなかったため、実質的には改正案Aを可決して、臓器移植を可能とさせるか
それとも、臓器移植の道を閉ざすかの2択でしかなかった。
A案以外の支持者の意見に共通であるのは、
「脳死を死とすること」への反対である。実際に脳死の子供を持つ親は、自分の子供を
死んだように扱われることに憤りを感じているのは事実であるし、彼らの意見はもっともなのだろう。
確かに「脳死を死とすること」が正しいとはいえない。しかし、それによって生きる可能性がある
臓器移植を待つ人々がたくさん死んでいる事実に対応する方が私は重要だと思う。
「自分の子供が死んだと認めたくない」というものに比較して、実際に見殺しにするという方が
責任は重いだろうというのが私の根底にある。
改正案Aは親が認めない限り、臓器移植をされることはない。
子供への臓器移植の選択肢自体を閉ざして、見殺しにする理由に、
「脳死を死とすること」に対する反対だけでは、ちょっと違うのではないかと思う。
もちろん、それに対する反対があってしかるべきであると思う。
死の問題とはとても難しいし、実際に脳死の子供を持っている人から
してみれば、そんな簡単に割り切れないだろう。
この問題は非常に難しい
日本で臓器移植が認められないのならば、アメリカで実施することがよいのだろうか。その臓器は誰のものなのだろうか。
1億円のお金を集めるまで、苦労しなければならない現状でよいのだろうか。考えてはいけないのかもしれないが、その1人の命が救える1億円で、アフリカでは一体何人の子供が救えるのだろうかとも考えてしまうと、より複雑な気持ちになる。
少なくとも私は
「脳死を死とすること」への感情的な反対よりは、
「助けることができる子供を救える道」を選ぶのが大切ではないかと思う。
自分の意見を持つということはどういうことだろうか。
メディアでは最近の政治情勢で、連日のように日本政治の末期症状をおもしろおかしく
報道していて、それに乗っかるように、人々は流されて支持を減らしたり、増やしたり・・・
ネット上だとかの意見を見てみると、本当に日本人は物事を考えられる人が少ないんだな
って愕然とするときがある。
国立漫画喫茶とか、
郵政民営化だとか、
本当にそれを考えていますか?
メディアに流されている情報だけを知って、あれはお金の無駄遣いだからけしからん!とか
情報のコピーで頭の中をすり替えているだけではないだろうか。
国立メディア芸術総合センターはだめなことなのか。それは中身を見てみないことには分からないはずだと思う。117億建設費にかかるであるとか、漫画喫茶をわざわざ国が作るのはけしからんだとか、表面的なことを言っているだけでは、考えを持っていることにはならない。
わが国が世界に誇る漫画やアニメの文化を発信していくのだから、あれは良いものだと言うの、なにを持ってよいといっているのかわからない。慶応大学の竹中平蔵の弟子だとかいう教授でさえ、この意見だった。がっかりでしかない。レベルの低い教授が慶応大学にはいるんだなと母校に嫌気がさしてしまった。
肝心なのは中身のはずだ。この箱物がどういう展示やイベントを実施して、どのように漫画文化の発信をできるのかが重要なはずだろう。それによって、いくらの集客が見込まれており、どのような効果がでるのかの数値を出して、計画を策定する。民間企業が当たり前にしていることだ。
では、国立メディア芸術総合センターはどうなっているのか。
答えは「何もきまっていない。」である。
阿部さんのころから議論をやってきた。というだけで、今決まっているのは117億かけて箱を作るということだけなのである。文部科学省はこれから民間に依頼して企画を考えてもらうらしい。典型的に赤字になるパターンだ。
漫画文化を世界に広げるためにとか、そういうことは良いことだと思うが、このままこの、箱物をつくっても、そうはならないだろうな、という状況であると思う。そういった点で私は反対という意見を持っている。
郵政民営化の人事問題はどうだったろうか。あれだけ不祥事があったのだからけしからん。という鳩山の”正義”とやらは正しいのだろうか。ただ、言葉に流されていやしないだろうか。かんぽの宿の問題は、第三者委員会が適正な取引であったという結論を出している。郵政がやったのは単なる値段の競争ではなく、金融業界でとられるような当たり前の手法を使ったに過ぎないという結論だ。そして
年間の赤字を考えれば、適正な価格であるという評価だ。
あの箱物を作ったのは官僚たちであり、介護詐欺をやらかしたのも郵政省のころの話だ。それをもって、民営化にともないやってきた西川社長を更迭ということで本当に良いのだろうか。そういった視点で議論をする必要があるのではないだろうか。
裏で小泉や竹中が手を回したからとか、麻生は最初は首にするつもりだったとか、表面的な政治論争にすりかわって、物事の本質が見えなくなってしまっている。それを鵜呑みにして、何も考えていないで、あれは悪い!とか思っている人がたくさんいるのは悲しい現実だ。
ネットメディアがあふれていることによって、逆に物事を自分で捉えて考える力がなくなってきているのではないだろうか。
ネット上の議論に感銘したことよりも、幻滅したことのほうがはるかに多い。
何も考えずに、どっかのメディアや三流紙が書いたような情報で、批判を繰り広げる人たちがたくさんいる。
自分で物事の本質を捉えようという努力をすることは、情報をなるべく多様な視点で集めて、それを噛み砕く力が必要だ。それによって、初めて自分の意見が生まれ出てくるのだと私は思っている。
また、メディアの中に流されて、選挙がはじまってしまわないかと、
それだけが気がかりでなりません。
メディアでは最近の政治情勢で、連日のように日本政治の末期症状をおもしろおかしく
報道していて、それに乗っかるように、人々は流されて支持を減らしたり、増やしたり・・・
ネット上だとかの意見を見てみると、本当に日本人は物事を考えられる人が少ないんだな
って愕然とするときがある。
国立漫画喫茶とか、
郵政民営化だとか、
本当にそれを考えていますか?
メディアに流されている情報だけを知って、あれはお金の無駄遣いだからけしからん!とか
情報のコピーで頭の中をすり替えているだけではないだろうか。
国立メディア芸術総合センターはだめなことなのか。それは中身を見てみないことには分からないはずだと思う。117億建設費にかかるであるとか、漫画喫茶をわざわざ国が作るのはけしからんだとか、表面的なことを言っているだけでは、考えを持っていることにはならない。
わが国が世界に誇る漫画やアニメの文化を発信していくのだから、あれは良いものだと言うの、なにを持ってよいといっているのかわからない。慶応大学の竹中平蔵の弟子だとかいう教授でさえ、この意見だった。がっかりでしかない。レベルの低い教授が慶応大学にはいるんだなと母校に嫌気がさしてしまった。
肝心なのは中身のはずだ。この箱物がどういう展示やイベントを実施して、どのように漫画文化の発信をできるのかが重要なはずだろう。それによって、いくらの集客が見込まれており、どのような効果がでるのかの数値を出して、計画を策定する。民間企業が当たり前にしていることだ。
では、国立メディア芸術総合センターはどうなっているのか。
答えは「何もきまっていない。」である。
阿部さんのころから議論をやってきた。というだけで、今決まっているのは117億かけて箱を作るということだけなのである。文部科学省はこれから民間に依頼して企画を考えてもらうらしい。典型的に赤字になるパターンだ。
漫画文化を世界に広げるためにとか、そういうことは良いことだと思うが、このままこの、箱物をつくっても、そうはならないだろうな、という状況であると思う。そういった点で私は反対という意見を持っている。
郵政民営化の人事問題はどうだったろうか。あれだけ不祥事があったのだからけしからん。という鳩山の”正義”とやらは正しいのだろうか。ただ、言葉に流されていやしないだろうか。かんぽの宿の問題は、第三者委員会が適正な取引であったという結論を出している。郵政がやったのは単なる値段の競争ではなく、金融業界でとられるような当たり前の手法を使ったに過ぎないという結論だ。そして
年間の赤字を考えれば、適正な価格であるという評価だ。
あの箱物を作ったのは官僚たちであり、介護詐欺をやらかしたのも郵政省のころの話だ。それをもって、民営化にともないやってきた西川社長を更迭ということで本当に良いのだろうか。そういった視点で議論をする必要があるのではないだろうか。
裏で小泉や竹中が手を回したからとか、麻生は最初は首にするつもりだったとか、表面的な政治論争にすりかわって、物事の本質が見えなくなってしまっている。それを鵜呑みにして、何も考えていないで、あれは悪い!とか思っている人がたくさんいるのは悲しい現実だ。
ネットメディアがあふれていることによって、逆に物事を自分で捉えて考える力がなくなってきているのではないだろうか。
ネット上の議論に感銘したことよりも、幻滅したことのほうがはるかに多い。
何も考えずに、どっかのメディアや三流紙が書いたような情報で、批判を繰り広げる人たちがたくさんいる。
自分で物事の本質を捉えようという努力をすることは、情報をなるべく多様な視点で集めて、それを噛み砕く力が必要だ。それによって、初めて自分の意見が生まれ出てくるのだと私は思っている。
また、メディアの中に流されて、選挙がはじまってしまわないかと、
それだけが気がかりでなりません。


