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臓器移植法案と人の死と
2009-07-14-Tue  CATEGORY: 政治・社会への雑感
昨日臓器移植法の改正案Aが可決された。長年にわたって日本の臓器移植の進展が
困難であっただけに、とても重要なことであったと思う。

7月の日曜日、武蔵境の駅で、子供の募金を求めている親がいた。
2歳の息子が原因不明の病で、アメリカで臓器移植を受けないと助からない。
そのための費用に1億円が必要であるため、募金をしていたのだ。

臓器移植のために億単位のお金が必要になる。
珍しい話ではない。
彼らにはこの法案を待っている時間もないのだろう。

臓器移植の話はとても難しい話であると思うが、私は改正案Aが可決されることが
望ましいことだという意見だった。

B案、C案、D案とあったわけだけど、どれも即座に子供への臓器移植を認める
内容ではなかったため、実質的には改正案Aを可決して、臓器移植を可能とさせるか
それとも、臓器移植の道を閉ざすかの2択でしかなかった。

A案以外の支持者の意見に共通であるのは、

「脳死を死とすること」への反対である。実際に脳死の子供を持つ親は、自分の子供を
死んだように扱われることに憤りを感じているのは事実であるし、彼らの意見はもっともなのだろう。

確かに「脳死を死とすること」が正しいとはいえない。しかし、それによって生きる可能性がある
臓器移植を待つ人々がたくさん死んでいる事実に対応する方が私は重要だと思う。
「自分の子供が死んだと認めたくない」というものに比較して、実際に見殺しにするという方が
責任は重いだろうというのが私の根底にある。

改正案Aは親が認めない限り、臓器移植をされることはない。
子供への臓器移植の選択肢自体を閉ざして、見殺しにする理由に、
「脳死を死とすること」に対する反対だけでは、ちょっと違うのではないかと思う。

もちろん、それに対する反対があってしかるべきであると思う。
死の問題とはとても難しいし、実際に脳死の子供を持っている人から
してみれば、そんな簡単に割り切れないだろう。

この問題は非常に難しい

日本で臓器移植が認められないのならば、アメリカで実施することがよいのだろうか。その臓器は誰のものなのだろうか。

1億円のお金を集めるまで、苦労しなければならない現状でよいのだろうか。考えてはいけないのかもしれないが、その1人の命が救える1億円で、アフリカでは一体何人の子供が救えるのだろうかとも考えてしまうと、より複雑な気持ちになる。

少なくとも私は

「脳死を死とすること」への感情的な反対よりは、
「助けることができる子供を救える道」を選ぶのが大切ではないかと思う。
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