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事業仕分けの問題点と意義について
2009-11-17-Tue  CATEGORY: 政治・社会への雑感
現在実施されている事業仕分けについて、是非がとびかっている。

国民に見える化されて、大変意義がある。
コスト削減効果がある

などという肯定的な面もあれば、

専門性のない人が短時間にやることで、十分な判断ができていないなどの批判がある。

本日自分の仕事に関連した内容が事業仕分けに出されていたため、ネットの中継だがその内容をみさせてもらった。また、現在、政策評価について提案を行おうと準備しているところであり、そういった意味で、公共政策評価を勉強してきた視点から、事業仕分けについて整理してみたい。

今回拝見した事業仕分けは、「登記に係る業務のシステム刷新化事業」である。自分の精通している分野であるため、仕分け人の判断が正しいかを客観的に把握することができた。

事業仕分けの流れとしては、以下のように始まった。

1.資料配布
2.政府担当官による事業の説明
3.仕分け人からの質疑応答
4.結論

仕分け人からの質疑応答が各になるのだが、その内容は、非常に疑問が多いものであったというのが結論である。仕分け人の知識がかなり稚拙で、内容を把握していないというのが丸分かりになるものだったからだ。

【問題①:説明した点を理解していない。】
仕分け人A:「新システムの運用が始まっているのに、なぜ現行システムの運用費が何十億も計上されているのか。おかしいではないか」
⇒現行システムから新システムへの移行を全国500登記所で数年かけて五月だれで実施していると、先に説明があったことを忘れている。単に能力が低いのか、仕分け人の把握力に疑問を感じた。さっき説明しただろとつっこみを入れたくなる・・・

【問題②:単純に専門性がない稚拙な指摘をする。】
仕分け人B:「情報量が増加したため、新しいシステムに刷新かして対応するならば、メモリやらを増やせばよいのではないか、新しいシステムにする必要などない。」
⇒単にメモリやらを増加すれば対応できるものではない。素人考えで、無知なことを露呈。

と、このくらいを見たところでも、問題点は把握できる。仕分け人が事業内容を理解できていないということである。そして、判断の基準が存在しないため、事業を理解していない仕分け人が、その事業を勝手に主観できってしまうのである。

その結果として、本当は必要であったかもしれない事業が廃止ないし、減額になる可能性が非常に高いということが言える。

このように大きな欠点があるものの、事業仕分けそれ自体には大きな意義がある。政府が実施している政策評価は、現在以下のような仕組を持っている。

・事業評価:個々の事業に対する評価を事前に実施するもの。
(事業評価の一貫としての規制事前評価:規制を導入した際の影響分析の評価)
・実績評価:各省庁の主要な施策の事後の目標達成度を評価するもの。
・総合評価:特定のテーマについて、事後に様々な観点から評価を行うもの。

これら3つの評価範囲について、必要性、有効性などの観点について、各章庁の評価担当官が内部で実施し、その結果を第三者委員会に見てもらった上で、来年度の予算等に反映する。

第3者委員会に見せるものである資料が公開されているという点は評価できるが、やはり内部評価であるため、その判断が甘いものになったり、事業継続に有利な指標を使うなどの欠点が見受けられる。また実績の達成度が重視されるため、その実績が果たして適切なのか、この事業自体は必要だったのかという点が評価されていないなどが考えられる。

こういった現在の政府の評価制度では、根本的な事業廃止などにいきつくことが少なかった。そのため、根本的に事業の見直しを図る事業仕分けがフォーカスされるようになったのである。
事業一つ一つの必要性そのものを見て、判断するという事業仕分けの意義はまさにこの点にあるといえる。

要するに、問題は以下のようになる。
1.政府による政策評価は事業の見直しまで踏みこめるものではないこと。
2.事業仕分けは、専門性や判断基準がないため、適切な判断ができているかという点で疑問があること。

では、このような事業仕分けを意義あるものにするにはどうしたらよいのだろうか。私は大きく2つのアプローチが事業仕分けに必要であると考える。

1.仕分け人の専門性を高める。
・問題点の大きなところに、「仕分け人の無知」があげられる。

そのため、仕分け人を専門性にわけてチームをつくってはどうかと考える。現在は、適当に事業仕分けグループが何個かあって、各省庁の様々な事業がグループに割り当てられる。それを仕分け人の専門性に基づいてグループを作成して、それに対応した事業をグループに評価してもらうようにする。

例えば、農業系の専門家や農水系の議員によって、農林水産事業仕分けチームを立ち上げて、専門的な観点による事業仕分けを実施することで、より適切に判断ができるようにする。

2.担当官側の判断基準を適切に把握できるものとする。
・事業の意義を説明する上での、説明がうまくいっていない点も説明する側からは考えられる。そのため、議論が稚拙となり、本当は必要かもしれない事業の意義も理解されないことになってしまう。

そのため、明確な判断基準を提供できるようにする必要があるだろう。これは、普段の政策評価において、十分な説明がかのうな事業評価を行っておくことで、対応することが可能になるだろう。現在の事業評価では、自分達の事業をやるために「説明を作っている」という面が強い。そうではなく、本当に意義のある事業を自分達で選定し、客観的に説明できる評価基準を作っていく「職員の意識」が必要となる。

そして、これによって、

事業仕分けによる公開説明に適した判断基準を作らなければならない。⇒ 
説明できない事業をむやみやたらと作ることができない。⇒
本当に必要な事業を官僚が意識して作るようになる。

というサイクルが生まれるのではないかと考える。

現在の事業仕分けは、「中身を精査せずに、予算削減の道具として使われている」という面が否めない。そうではなく、本当に必要な事業を官僚が作る「意識改革」こそが、事業仕分けの本当の意義がうまれるときであると私は考える。そのために、専門性をもった仕分け人による判断も同時に必要となるだろう。
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民主党に切り込みます!!
2009-10-28-Wed  CATEGORY: 政治・社会への雑感
さて、試験の次は仕事をがんばんないと!
ということで、現在、新しい仕事に集中し、新しいチャレンジをしようとしています!


それは、官公庁として、政府の施策に切り込んだり、
官公庁自体に対するコンサルティングを提案していくことです。


自分の今いる省庁において、何ができるのか
ITだけではなく、ストレタジーな部分も含めて、全体的に見回して
仕事につなげるだけでなく、国を良くして行くための検討を始めます。


具体的は秘密保持なためかけないですが、
ようやく官公庁のコンサルティンらしい仕事がでてきましたね。


ただ、民主党はだめだとか、
自民党はああだとか

批判ばっかりしていたところで、何も変えることはできません。
自分は何もしないのに、他人の批判ばかりするのは
意味のあることではないでしょう。

自分から動き出して、
自分から変えようとすること
それが自分と社会を築き上げるのだと思います。




国のため、会社のため、自分のため、みんなのため
たくさんの人に良い社会を提供するために
何か出来ることをさがしていきたいです!



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子供たちへの支援
2009-10-21-Wed  CATEGORY: 政治・社会への雑感
休日の西武新宿駅に、募金箱を持った子供たちが声をあげていた。
親を失った遺児に対する、募金を求めていた。

貧困を理由に進学をあきらめる割合がかなり高いというニュースを最近みた。
また、国内の貧困率がOECDで高いグループにいることが厚生労働省より発表された。
日本国内の貧困状況は深刻だ。

遺児になると、中学を卒業すると高校もいかずに働きにでることが多いらしい。
彼らは、進学をあきらめないためにも支援をお願いしますと訴えている。
土曜日と日曜日のどちらにも彼らは立っていた。

民主党が子供手当てや、高校の授業料の無料化などの大盤振る舞いをして、
批判していた赤字国債の増発をしかねない状況になっている。
高校の授業料無料化のかげで、民主党は高校生に対する奨学金は切り捨てたらしい。

全員一律に対する支援と、
遺児や学校にいけない人への奨学金制度の不備の
間で不均衡が生じているような気がする。

子供手当てで誰でもかれでもお金を渡すことが果たして、日本の子育てをよくするのだろうか。
一方で、学校にいけない人に対する支援は何もはじめていない。

大きなことを言って、小さなことを捨ててしまう。
それで良いのだろうか。

いろいろな疑問をうかびながら、彼らの募金に協力する。
そんなささやかなことでは解決できないのだろうなとも思うけど
一つ一つが大切に成るのだと信じたい。
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公共事業を継続するか否かの判断の方法について(八ッ場から)
2009-09-17-Thu  CATEGORY: 政治・社会への雑感
八ッ場ダムの着工するかしないかで、地方と新政権との間でもめている。

無駄なんだから、中止すべきだ!
住民も移動しちゃって、もう7,8割もでできてるんだから、とめるほうがむだだ!

あなたはどう判断しますか?
継続しますか? 中止しますか?

こうした場合の判断基準をどこで持つかが非常に大切になる。継続派と中止派の主張は以下の通りだ。


【継続派】
・地方の声や地域住民の声を無視して、中止するなんて言語道断だ!(群馬県知事)
・もう7、8割出来ているのだから実施すべきだ。(国交省や建設関係者)
・すでに地域振興や移動もしており、ここで中止されると困る。(地域の人々)
・地域の治水のために、ダムは必要不可欠だ。(地域の推進派)

【中止派】
・50年以上前の計画であり、もはやダムは必要ない。(地域の反対派)
・公約にたし、無駄の象徴なのでやめないと。(民主党関係者)
・ダムによる治水は成り立たない、別の取組を実施すべきだ。(脱ダム系)


ほかにもいろいろあるだろうが、ざっと挙げるとこんなとこでしょうか。
こうして主張を見ると、それぞれが別々の軸から主張を展開していることが分かる。

1.ダム自体が意味があるか否かという視点
2.地域振興や対応状況からみた視点
3.建設業者などの利益が絡んだ視点
4・無駄うんぬんよりも単なる政局的な視点

といったところだろうか。



事業の継続性を判断する際の「最もしてはいけないおろかな判断基準」は、

もうやってしまったから最後までやろう!!

である。そのものの意義がないときに、それが9割できていたとしても、完成しても意味がないのだから、中止を断行するというのが重要である。

今回の八ッ場ダムの例で考えるのならば、

やはりダムの意義を再度、調査して判断すべきだと考える。

客観的に調査を行い、ダムの有効性や、経済的な効果などを総合的に評価して、継続すべきか反対すべきかを判断する必要がある。

現在の議論は結論ありきで、継続や中止の議論がなされていて、決して良い議論とはいえない。ましてや、「8割作ったからやめたほうが無駄がでる」というような主張はおろかだと思う。「作ったときに効果があるかないか」という視点がない限り、何も判断できないからだ。

民主党の言うように、「無駄の象徴だからやめる」という単純な理由だけでは、正しい判断とはいえない(無駄であるというデータがあるのかもしれないけど、このダムについては知らないので、無知な状況から判断して)。ダムは無駄だから全部作らないというのは乱暴は議論だと思う。

日本の公共事業に必要な視点は、公共事業の必要性をしっかりと調査して、一旦決定したことでも勇気ある撤退を可能とすることだ。

とりあえず決まったから、作るしかないというお上意識を変更することが重要なことであし、逆に単に中止だけを主張するのも裏返しなだけでなく、良い判断とはいえない。そのための調査・評価・判断基準の整備を進めるべきである。

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臓器移植法案と人の死と
2009-07-14-Tue  CATEGORY: 政治・社会への雑感
昨日臓器移植法の改正案Aが可決された。長年にわたって日本の臓器移植の進展が
困難であっただけに、とても重要なことであったと思う。

7月の日曜日、武蔵境の駅で、子供の募金を求めている親がいた。
2歳の息子が原因不明の病で、アメリカで臓器移植を受けないと助からない。
そのための費用に1億円が必要であるため、募金をしていたのだ。

臓器移植のために億単位のお金が必要になる。
珍しい話ではない。
彼らにはこの法案を待っている時間もないのだろう。

臓器移植の話はとても難しい話であると思うが、私は改正案Aが可決されることが
望ましいことだという意見だった。

B案、C案、D案とあったわけだけど、どれも即座に子供への臓器移植を認める
内容ではなかったため、実質的には改正案Aを可決して、臓器移植を可能とさせるか
それとも、臓器移植の道を閉ざすかの2択でしかなかった。

A案以外の支持者の意見に共通であるのは、

「脳死を死とすること」への反対である。実際に脳死の子供を持つ親は、自分の子供を
死んだように扱われることに憤りを感じているのは事実であるし、彼らの意見はもっともなのだろう。

確かに「脳死を死とすること」が正しいとはいえない。しかし、それによって生きる可能性がある
臓器移植を待つ人々がたくさん死んでいる事実に対応する方が私は重要だと思う。
「自分の子供が死んだと認めたくない」というものに比較して、実際に見殺しにするという方が
責任は重いだろうというのが私の根底にある。

改正案Aは親が認めない限り、臓器移植をされることはない。
子供への臓器移植の選択肢自体を閉ざして、見殺しにする理由に、
「脳死を死とすること」に対する反対だけでは、ちょっと違うのではないかと思う。

もちろん、それに対する反対があってしかるべきであると思う。
死の問題とはとても難しいし、実際に脳死の子供を持っている人から
してみれば、そんな簡単に割り切れないだろう。

この問題は非常に難しい

日本で臓器移植が認められないのならば、アメリカで実施することがよいのだろうか。その臓器は誰のものなのだろうか。

1億円のお金を集めるまで、苦労しなければならない現状でよいのだろうか。考えてはいけないのかもしれないが、その1人の命が救える1億円で、アフリカでは一体何人の子供が救えるのだろうかとも考えてしまうと、より複雑な気持ちになる。

少なくとも私は

「脳死を死とすること」への感情的な反対よりは、
「助けることができる子供を救える道」を選ぶのが大切ではないかと思う。
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